2012年03月11日
あれから1年
東日本大震災から1年が経ちました。
妻の実家が仙台市で、家族となかなか連絡がとれず、不安な夜を過ごしたのをおもいだします。
後日、妻の家族や親戚、友人、私の友人の無事が確認出来安心しました。
津波の映像に目を奪われ、何も言えない、なんとも言えない無力感を感じました。
当時仙台市内でも食料が買えず困っているという話を聞き、妻の家族に食料を届けようと宅急便で送ろうとしたがそれも出来ず、
それなら直接車で届けようとしたが、ガソリンがどこも売り切れの状態。
1番身近の人達に何も出来ずはがゆい想いをしました。
それでも何かしようと、整骨院でも収入の1部を義援金として寄付しました。
仙台味噌を買ったり、東北の地場産の商品を買ったりもしました。
救援物資を送ったりもしました。
ボランティアにはいけないので自分にできる事をしました。
忘れてもいい事は沢山ありますが、この日の事は教訓としても忘れず、
被災地の復興は未だに進まず、非難生活をしている方が大勢いる事は忘れてはいけないと思います。
芸能人やプロスポーツ選手の様に大きい事は出来ませんが、
一個人として出来る小さい事を続けようと思います。
家族がいて普通の日常が毎日やってくる幸せに感謝です。
おしまい
院長
妻の実家が仙台市で、家族となかなか連絡がとれず、不安な夜を過ごしたのをおもいだします。
後日、妻の家族や親戚、友人、私の友人の無事が確認出来安心しました。
津波の映像に目を奪われ、何も言えない、なんとも言えない無力感を感じました。
当時仙台市内でも食料が買えず困っているという話を聞き、妻の家族に食料を届けようと宅急便で送ろうとしたがそれも出来ず、
それなら直接車で届けようとしたが、ガソリンがどこも売り切れの状態。
1番身近の人達に何も出来ずはがゆい想いをしました。
それでも何かしようと、整骨院でも収入の1部を義援金として寄付しました。
仙台味噌を買ったり、東北の地場産の商品を買ったりもしました。
救援物資を送ったりもしました。
ボランティアにはいけないので自分にできる事をしました。
忘れてもいい事は沢山ありますが、この日の事は教訓としても忘れず、
被災地の復興は未だに進まず、非難生活をしている方が大勢いる事は忘れてはいけないと思います。
芸能人やプロスポーツ選手の様に大きい事は出来ませんが、
一個人として出来る小さい事を続けようと思います。
家族がいて普通の日常が毎日やってくる幸せに感謝です。
おしまい
院長